『渋谷』藤原新也

061227「死んでもええやん!」渋谷にたむろする少女たち

過日わが国におけるドイツ文学研究の大御所であられる某先生と、音楽の話を交えながら酒を酌み交わす機会に恵まれた。その席には他のお歴々もおられ、楽しい一時だった。私にとってラッキーだったのは、帰りの電車が某先生とたまたま同じであり、しばしこの大先生を独り占めできたことである。話は本のことに及び(某先生は読書に関する書籍も上梓しておられる)、私はおそるおそる質問した。
 
「書評のブログを担当しているのですが何か、これは、という本をご存じですか」 
 
即座に答えが返ってくる。 
 
「渋谷、という本がいいですよ」
「渋谷、ってあの若者達が集まるエリアのことですか?」
「そう。こういった感性にはなかなか巡り会うことがない。そしてその表現力がすばらしい」 
 
某先生は電車を降りる時に「これです。お好きかどうかわからんが、読んでごらんなさい」と、わざわざ書名のメモまで下さった。ドイツ文学と渋谷とどんな関連があるのだろうか、といぶかりながらもここまで薦めてくださった本である、早速入手して読んでみた。 
 
某先生はお年としては「名誉教授」だし、その膨大な業績や温厚な風貌からは思いもつかない内容の本だった。「ドイツ文学研究の第一人者」というとゲーテとかシラーといった作家に絡んだ「書斎に籠もる学者」という先入観がつきまとい勝ちだが、「トップレベルの研究者とはこんなに思考が柔軟で、何にでも興味を持てるのだ。だからトップレベルになるんだなあ」と、本の内容以上に妙なことに感激してしまったのである。 
 
さて肝心の本の内容だが、私が解説するよりも、とりあえず読んでみることが最良の道だろう。おそらく誰もが一気に読み終えてしまうに違いない。 
 
著者の藤原はカメラマンだ。子供から大人になりつつある若い少女たちを撮影する企画に先だって行われたオーディションを通じて、藤原は“今ふう”の少女と出会うことになる。そうした子たちの内面に隠された影の部分が、読んでいて痛いほどの表現で書きつづられていく。自分は常識人だと思いこんでいる大人からは「とうてい社会の役には立ちそうもないゴミのような若者」にしかみえない彼女たちの心に何が宿り、何をどう感じているのか──そうした世界をかいま見ることができる。いや、かいま見たような気がするだけで、本質は何もわからないままなのかも知れない。それでも良い。ぜひ御一読をお薦めしたい。 (東京書籍)