ソ連が崩壊し、ヨーロッパから共産圏が消滅し、欧州諸国が現在のように連携して通貨まで統一されるなど、誰に想像できただろうか。しかしそこに至るまでのヨーロッパの長い歴史は緊張に満ち、苛酷なものだった。
塚本の語るエリザベートとは、ミュージカルなどの主人公になっている、シシィという愛称で呼ばれ、フランツ・ヨーゼフ皇帝の奥方で暗殺されたエリザベート皇后のことではなく、その孫娘、つまり息子ルドルフ皇太子(後に自殺)と妻ステファニーの間に生まれ、ハプスブルク家最後の皇女となったエリザベートのことである。1883年に生まれ1963年に没するまで、正に激動の歴史に翻弄されながらも自分自身を見失わず、その人生を清冽に生き抜いた。
このエリザベートを軸に紡がれていくノンフィクションでは、息をのむようなシーンが次から次へと繰り広げられる。塚本の描く登場人物の心理描写も見事ながら、ウィーンに秘められているさまざまな側面が鋭くえぐり出されていく。本の内容を紹介するには、下手に解説するよりも目次を見るのが何よりだろう。
世紀末の皇太子心中事件─ドイツ民族主義との戦い─孤独な少女─皇帝の溺愛─祖母暗殺の悲報─母皇太子妃の再婚─一途な初恋─プラハの新婚生活─ウィーンの革命家たち─破綻した結婚─サライェヴォの暗殺─海軍士官レルヒとの悲恋─皇帝死す─ハプスブルク家の崩壊─皇女の離婚裁判─ペツネックとの出会い─過去との訣別─赤い皇女─マサリックとカレルギー─ヒトラーへの不安─子供たちの離反─ヒトラー山荘の脅迫─手遅れの挙国一致─ドイツ軍ウィーン占領─喪服の抗議─フロイト亡命─チェコスロヴァキア崩壊─第二次大戦へ・子供の死─レジスタンス─チャーチルのドナウ連邦構想─ペツネック強制収容所へ─国立オペラ劇場爆撃─ソ連兵と対決─ペツネック帰還─スターリン東欧支配─鉄のカーテン演説─国家条約交渉スタート─チェコ共産クーデター─正式の結婚届─ドイツ分断──「第三の男」─オーストリア中立構想─国家条約合意─冷戦の中の奇跡・条約調印─なつかしのわが家へ─愛する夫の死─ハンガリー動乱勃発─ソ連軍ブダペスト弾圧─王朝への郷愁─愛犬に囲まれた最後
残部もそろそろ底をつきそうだという貴重な書籍である。今のうちにぜひ入手されんことをお薦めしたい。文春文庫としても入手可能になっている。 (文藝春秋)