餅は餅屋。「芸は道によって賢し」や「海のことは漁師に問え」というのも同義の格言だ。本書ではまさにその神髄を味わうことができるだろう。伝統ある不動のクラシック音楽月刊誌『音楽の友』に連載された、多忙な(=人気絶大の)作曲家池辺晋一郎のエッセイをまとめたものだ。シリーズは『バッハの音符たち』でスタートしたが、その後『モーツァルトの音符たち』『ブラームスの音符たち』『シューベルトの音符たち』へと発展をとげ、ベートーヴェンに関する内容の本書が最新版となる。
同じ音楽家の中でも作曲家の感性と視点は、他人に真似のできない独特なところがある。私も演奏家そして音楽教育家の端くれとして、作品の構造やアイデアに関する考察にはそれなりの関心を持っている。それでも池辺のような着想はなかなか得られるものではない。「作曲家のアタマの中はいったいどういう構造になっているのだ?」と驚くばかりだ。
「わかりやすく、おもしろく」が命題とは言え、かなり専門的な領域まで踏み込まれた本書を読んでの感想は、私と一般の“熱心な音楽愛好家”の間で大きく違ったものになるだろう。音楽を職業としている私でも目からウロコの刺激を受けるのだ、ただただクラシック音楽が大好きなだけの音楽ファンへの新鮮な衝撃は、私の数倍、いや数十倍になるかも知れない。何しろ池辺は作曲家としての絶大な解析力に加えて、「シロートを喜ばせるツボ」をも熟知している。彼は映画やNHK大河ドラマの音楽なども数多く手がけてきたが、あの響きを聴いていれば池辺がいかに老獪な語り手であるかは容易に想像できようというものだ。
池辺の文章は、そのリズムも独特だ。おもしろい。読む、というよりは、直接語りかけられているような錯覚に陥る。しかし本書の内容を隅から隅までしゃぶりつくすには、いくつかのハードルがある。まずは最低限「話題にされている作品を聴いたことがある」ことだ。本書が「初めて聴く人のために作品の聴き所をあらかじめ紹介しておく」ガイドブックではなく、「ある程度聴きこんだ曲を、別の視点からアタックしてみよう」というものだからだ。そのためには掲載されている譜例をじっくり検証する必要がある。これがふたつめのハードルだ。オタマジャクシが苦手の場合には、かなり手間取ることになろう。可能ならば手持ちの楽器で音をなぞってみることも、より深い理解への助けになるに違いない。読者の健闘を祈りつつ、心からの賞賛とともに紹介させていただく次第である。(音楽之友社)