『モーツァルトの虚実』海老澤 敏

111129日本におけるモーツァルト研究を牽引する音楽学者、海老澤敏による最新の著書である。紐解くと、冒頭には一世を風靡した映画『アマデウス』に関する話題が提供されている。この映画は私も見た。いまだに強烈な印象が残っており、それがはるかかなた、80年代の出来事だった(公開は1984年)とは信じられないぐらいである。当時はサリエーリのメイクアップの秀逸さも大きな話題になったと記憶している。
 
しかしこの手の映画には虚構が多い。映画としてヒットさせるため、という意図はわからないでもないが、これらすべてが史実だと信じてしまうと大変なことになる。それでも「もしかしたら」と思わせてしまうのが、良くも悪くも映像の持つ絶大な影響力だろう。『アマデウス』にも、一般的な研究成果として受容されている内容とは異なったシーンがたくさん織り込まれていた。ただし、それらは単なる荒唐無稽な作り話ではなく──信憑性の多寡はともかく──モーツァルト時代の新聞に掲載されたゴシップ記事も含め、何らかの学説や資料に由来するものとなっている。いずれにせよ、この映画をきっかけに「モーツァルト」はますます有名になり、さまざまなモーツァルトグッズが開発され、金儲けの具として展開されていったのである。
 
真摯な学者たちが地道な研究の成果として発表する崇高な“学説”とやらを門外漢が目にすると、学究的すぎてわけがわからないか、すなおに「すごいなあ、そうだったのか」と信用してしまうかのどちらかとなろう。ことモーツァルトにおいては後者の「誰もが興味を持つトピック」に事欠かない。中でも一般受けする話題としては「死因となった病気は何?」「妻コンスタンツェは本当に悪妻だったのか?」「埋葬に至る経緯」「モーツァルトとスカトロジー」「未完のまま終わってしまったレクイエムに関して」などが挙げられるだろう。それに加えて比較的新しい話題としては「モーツァルトのものと鑑定された頭蓋骨の真偽」「モーツァルトのものだといわれているデスマスクは本物か?」「モーツァルトの年収はどのぐらい?」「ギャンブラーとしてのモーツァルト」その他がある。
 
こうした疑問に関しては、多くの研究者たちによる様々な見解が発表されてきた。今までどのような論説が発表されてきたのか、それに反駁する意見にはどんなものがあり、その根拠は何か、といったモーツァルト研究の最新状況を公平かつ明解に示してくれるのが本書である。情報源となる論文や書籍の明示も、読者にとっては大変に貴重な情報だ。以前はスタンダードの必携書と思われていた伝記にさえ、史実の取り違えや著者の個人的な思い入れに由来する脚色が施されていたこともわかる。また新しい知見によって展開、あるいは訂正された研究成果について知ることができるのも嬉しい。
 
本書は前述の通り映画『アマデウス』がもたらした影響にまつわるプロローグとともに始まるが、その後は第1部「生」というセクションに「モーツァルト時代の“家族”」「モーツァルト家のふたりの女性、母と姉について」「モーツァルト父子がポンペイ見物に行ったという“虚構”」「コンスタンツェは悪妻か良妻か」「予約演奏会会員名簿から読み取れること」「モーツァルトの蔵書」などに関する話題が提供される。それに続く第2部「死」では「葬儀に関して」「死因に関して」「葬儀の日の天気──モーツァルト研究の大御所オットー・ヤーンの勘違い」「モーツァルトの追悼ミサ」「頭蓋骨、デスマスク、遺髪の真偽について」(以上、本書の目次そのままではない点はご了承いただきたい)が語られ、エピローグとして今後のモーツァルト研究のあるべき方向が提言されている。
 
400ページを超える大著であり、一見堅苦しそうな学術書に見えるが、内容は誰もが知りたいと思うような身近なものばかりである。そしてそれらが興味本位に流れることなく、第一級の研究者の手による手堅い、信頼・検証できる形でまとめられたことは大きな幸いだ。私自身は寝食もそこそこに一気に読み切ってしまった。(ぺりかん社)