『楽譜を読むチカラ』ゲルハルト・マンテル 久保田慶一訳

120318演奏家としての将来を夢みつつ練習に余念がない音楽学生たちが「よりよい演奏を目指したい」と思いたった時には何に注目すべきか、そしてそれをどのように実践したらよいのかを懇切丁寧に解説した指南書である。いわゆる「演奏論」のジャンルに属する書籍だが、このように紹介すると「またか…」というため息も聞こえてきそうだ。
 
それはなぜか? 答えは簡単だ。いくらためになる本でもこの手のものは、読んでいてわくわくしないことが多いからだ。しかしこの本は違った。読んでいて「しんどいなあ」というストレスをまったく感じることなく、楽しめた。「本当はもっとていねいに読み込むべきなのに、この先に何が書いてあるのかの方が気になって仕方ない」という気持ちだった。これは訳を担当した久保田の日本語力に負うところが大きい。たとえば書籍のタイトルだが、原著名であるInterpretation vom Text zum Klangを普通に訳せば「楽譜の解釈とその表現」とでもなるだろうか。それが「楽譜を読むチカラ」となった。「合奏では音がドンピシャに鳴ることが必ずしも理想的ではありませんし…(98ページ)」といった表現も実に生き生きとしていて嬉しくなってくる。また106ページ以降から論じられる「しくみを知って演奏しよう」という項目名はStruktur(構造)という固い言葉から導かれたものだ。
 
著者のマンテルはドイツ生まれのチェリストだ。ドイツ人ならではの綿密さがこの本の特徴でもある。チェロの専門家が書いた本として当然のことながら、原著に掲載された譜例の多くはチェロの作品だったという。しかし久保田のアレンジによってピアノの譜例もたくさん盛り込まれ、ピアニストにも魅力的な本として仕上がった。また多くの訳注も適切でわかりやすい。
 
「チェリストの視点でピアノへのアドバイスが語られる」というところがこの本最大のキモである。ピアノの専門家がピアノの弾き方を語ると、どうしても視野が狭くなってしまう。ピアノで可能なことしか書かないからだ。そうではなく、ピアノを弾かない人が自分勝手に語ることの方がずっとおもしろいし、示唆に富んでいる事が多い。目先の奏法を云々するのではなく、楽器の垣根を越えた「音楽」という広い視野からの助言が貴重なのだ。
 
ところで訳者の久保田だが、実は私と同じ職場で教えている同僚だ。某音大の大学院なのだが、私がこの本を手に取ったときまず思ったのは「これはすばらしい、自分の授業で使いたい」ということだった。しかし訳者あとがきを読んで落胆してしまった。この本が日本語で出版されたきっかけは、久保田自身が大学院の自分の授業で本書の内容を扱ったことだったという。同じ院生を相手に同じ教科書を使って授業をやるわけにはいかず、ここは断腸の思いで引き下がるしかなさそうだ。
 
最後にもうひとつ。本書は演奏家の卵や学生を指導する立場にある者にとってもこの上なく貴重な情報源となるだろう。アドバイスの際の引き出しが増えることは確実だ。指導者のための副読本としても、おおいに推奨したい。(音楽之友社)