話題となっているのは初心者向けのピアノの教材だ。楽しげな語り口で語られていく内容は、とても充実している。また学術的なリサーチとしても充分な価値がある、貴重な一冊だ。
ブルクミュラーは1806年にドイツで生まれた作曲家で、ショパンと同時期にパリで活躍していた。そのブルクミュラーが作曲した練習曲の数々は遠く日本まで渡来し、わが国における西洋音楽の黎明期である明治の時代から教材として使われ始め、今日に至っている。同じ練習曲でもチェルニーが作曲したものよりメロディックで各曲にタイトルもつけられ、お洒落なのだ。「練習曲」とはいうものの、機能一辺倒のところがない。チェルニーの練習曲が原因でピアノが嫌いになった子は多いが、ブルクミュラーでピアノが大好きになった子供たちもたくさんいた。著者達もこれに漏れず、ブルクミュラーの大ファンなのである。
そんなわけで著者達はなかば「ピアノを習ったのにブルクミュラーを知らないことはあり得ない」という前提で話を運んでいるように感じられた。それはそれで熱意が感じられて応援したくなるのだが、「そこまで詳しくない」読者は少々取り残されてしまうような感を抱くかも知れない。ほかでもない、実は私がそうだったのだ。
私も子供の頃、ブルクミュラーは勉強した記憶がある。しかし全部ではなかった。教師となって以来ブルクミュラーの指導もしてきたが、頻度はそれほどではない。まして普段の職場である音楽大学では、ほとんど耳にしない。管弦打楽器や歌科の学生が履修する副科ピアノならともかく、音大にピアノ専攻で入学してからこれを教わっているようでは卒業が危ぶまれる。
そんな事情もあり、「知っていて当たり前」かのように出てくる作品のタイトルを見ても、即座にその曲のメロディーやリズムが脳裏に浮かんでこなかったのだ。本書の中で章を割いてかなり詳細に追跡されている《スティリアの女》もそのひとつだった。惜しまれるのは、これだけ詳細にさまざまな角度からの研究が展開されながらも、対象となっている作品のメロディー譜例がないことだろうか。全曲と言わずとも、話題になっている作品の冒頭数小節だけでも掲載されていれば、「あ、これね」ともっと自由に楽しめたに違いない。
さて、愚痴はさておき内容を追ってみよう。
大きくまとめれば「日本のピアノ教育におけるブルクミュラー練習曲の位置づけ」「個別の作品(抜粋)の魅力と編集上の紆余曲折」「出版に関する情報」「作曲家ブルクミュラーに関する情報」「日本におけるブルクミュラー受容史」「ブルクミュラーの指導法を通して見た日本のピアノ教育における意識の変遷」「今日のブルクミュラー使用法」「ディスコグラフィー」「その他の情報やインタビューなど」ということになろうか。そして付録として「ブルクミュラーゆかりの地の旅行記」があり、最後にブルクミュラーの主要作品目録が掲載されている。すべて誠実に検証された情報で、出典などに関してもきちんと明記されていてすがすがしい。章ごとにまとめられた注釈もていねいだ。珍しい写真も目にすることができる。
冒頭でも述べた通り、学術書としての内容も包括しながら一般読者への楽しい読み物としてまとめられており、ブルクミュラーファンには「とっておきの一冊」となろう。(音楽之友社)