『ショパンを嗜(たしな)む』平野啓一郎

20140524_179452恥ずかしながら、平野啓一郎の作品を読むのはこれが初めてだ。平野は1999年、京都大学法学部在学中に『日蝕』によって芥川賞を受賞している。その当時は最年少での受賞だった。
 
その後2002年に『葬送』という長編小説を上梓、現在は4分冊の新潮文庫として入手可能となっている。「ピアノの詩人」と称され、日本でもファンの多いポーランドの作曲家ショパンと、その友人で画家のドラクロアを軸にした小説だ。舞台はパリ。平野が得意とするフランスの情景である。
 
もちろんこれは小説で、史実の解明を追求した伝記ではない。司馬遼太郎による歴史小説のようなとらえ方をすれば良いだろう。著者の脳裏で練られた登場人物の描写がとても生き生きとしており、読者の心中にはつい「すべてそうであったに違いない」という確信が芽生えてしまう。
 
この長編が構想された際に作られた取材ノートの内容が1冊の本として、昨年末に出版された。もともとは『音楽の友』というクラシック音楽系の月刊誌に2009年から2010年にかけて連載された記事を集約したものである。
 
ショパンに関してはすでに多くの研究書が刊行されている。音楽の専門家が多くの労力と時間を費やしてまとめた成果には大きな価値があり、現代におけるショパン受容において大きな役割を担っている。さまざまなところに見解の違いはあるが、それが学問というものだろう。新しい知見に触れることにも、スリリングな興味を覚える。
 
平野の取材もこうした史実を踏まえてであることは当然だが、小説のためとなれば切り口が異なる。学問としてはどうでも良いことでも、文学作品を構築するためには欠かせないディテールがあるに違いないことは、想像に難くない。ショパンの日常の様子、はたまたどのぐらいのレッスン代をとっていたか、などの情報に触れることによって、私生活をのぞき見るような楽しみ方ができる。
 
ショパンは亡命先のパリで何回も住居を引っ越している。学問としてはその住所がきちんとわかり、そこでどの作品が創作されたかが確定できれば良いのだろうが、小説家にとっては違うのだ。たとえばポーランドからパリに来たばかりでまだ弱冠21才だったショパンは、ある建物の5階から別の建物の2階へ移転したのだが、
 
部屋が5階から2階になって、上がり下がりが楽になったというのは、一見、大した話でもないようだが、当時、彼の重要な収入源となりつつあった、一回二十フラン、一日五回で百フランという、ブルジョワの夫人や娘のレッスンのためには、決して蔑ろ(ないがしろ)に出来ない意味を持っていた。(p.23)
 
という考察には「なるほど」と思わせるものがある。 当時のフランの価値に関しても言及されている。それによると、ショパンのレッスンは1回2万円ほど、という計算になる。これでショパンのレッスンを受けられるのであれば、とてもお得な値段のように思えるが、当時は「高い」という評判だったようだ。パリではまだ駆け出しの若者だったショパンである。しかし逆に「高い」ところに、価値があったのだろう。これによって日銭10万円を稼ぎ出すわけで、決してあなどれない額である。毎月10日間働くだけで、かなり裕福な生活ができたに違いない。
 
こんなこと、あんなこと、家族のこと、また一般の伝記では語られないような脇役の人物に関することなど、「へえぇ」と感心するような情報がたくさん紹介されている。もっと身近にショパンを感じるためのコンパニオンとして、いかがだろうか。(音楽之友社)