『年老いた猫との暮らし方』ダン・ポインター『のこされた動物たち』太田庸介

120121-1 120121-2老いは人間だけに訪れるのではない。すべての生き物にとって平等だ。弱肉強食の自然界に生きる野生動物たちにとって、老いによる衰えは死を意味する。
 
しかし医療の発達により、動物園で飼育される動物、あるいは家庭で愛されるペットにおいては、天寿をまっとうできるケースが当たり前になってきた。私たちを癒してくれるかけがえのない犬や猫たちは、やわらかな被毛に包まれているだけに、その老いを日々リアルに感じることはほとんどない。顔にしわがふえるわけでもなく、いったん成体に育ったペットたちは「そのままずっと変わらない」と錯覚してしまい勝ちだ。
 
だが、老いは確実に忍び寄る。視力が衰え、聴力が衰え、人間と同じように認知症になることもある。拙宅の犬もそうだった。以前のような活発さがなくなり、頑固になり、目も白く濁ってきたころには徐々に認知症的徴候が見受けられるようになった。そのうち昼夜逆転がおこり、徘徊もするようになった。小型犬だったので、徘徊に関しては子供用の丸いビニールプールの中をぐるぐる歩かせることで対応できたのが幸いだったが…。
 
ペットの飼い方に関する書籍は枚挙にいとまがない。いたいけない動物をわが家に受け入れてからの育て方、しつけ方、あるいはどんな病気に注意すべきかが詳細に書かれている。しかし、こうしてたくさんの無上の幸せをもたらしてくれるペットたちに忍び寄る老いに気づくこと、そしていつか「その日」が近づいた時にどうすべきか、というアドバイスに特定された本はまだなかった。
 
ポインターの著書は、猫の場合の指南書である。年老いてきた猫を前に、何に気をつけてあげるべきか、ということがエッセイ風に語られている。アメリカの一般的な獣医が提案する助言の数々ばかりでなく、日本の獣医からのメッセージも訳者の脇山によって加筆されている。このように従来のペット飼育書にはなかった大切なポイントが数多く示されているが、猫の飼い主のみならず、犬の飼い主にも参考になるところがたくさんあるに違いない。
 
原著がアメリカで出版されたものだけに、動物たちの最期における究極の選択肢となり得る安楽死に関しては、必ずしも日本人の情緒となじまないかもしれない。確かに治癒の望みがなく、このままでは苦痛に耐えるしかない愛猫や愛犬を麻酔薬によって楽にしてやるのは、ペットを愛するがこその行為に違いない。しかし、本当の問題は残された飼い主たちの心なのだ。「ペットロス症候群は新しいペットによって癒される」とは私の経験からしても真実だが、そう簡単に事が運ぶわけではない。たとえ安楽死を選択しても、その決断をその後の時の流れの中で本当に受け入れられるかは、普段から付き合ってきた獣医とどのような信頼関係を築いてきたかに関わってくるだろう。
 
ところで動物の死といえば、昨年3月11日に東北で起きた大地震に由来する原発事故がもたらした惨禍を看過することはできない。緊急避難の際には、たとえかけがえのない家族のような存在であっても、避難所にペットを連れて行くことはできなかった。牛や馬のように大型の動物も、置き去りにしていく以外に方法はなかった。大多数の動物たちにとって、早晩訪れる飢えによる死は避けようのない運命となってしまったのだ。
 
太田の写真集はそうした非情な現実の記録である。動物を愛する人にとっては目にしたくない画像で埋め尽くされた、心痛と涙をもってしか見られない写真の数々がここにある。
 
しかし、太田が文中で「ごめんよ、ごめんよ、と謝りながら写真を撮りました」と述べるのであれば、せめてもうひと工夫欲しかった。残念なのは、読者が「いかに微力でも、何か自分にもできることはないか」と感じたときにアクセスできる窓口が紹介されていないことである。動物が大好きな仲間たちが少しでも、どんな形でもサポートに参加できるようなきっかけを与えてくれる本であればなお良かったのに、と悔やまれる。「私にできることは、写真を撮り、今起こっている現実を多くの人に知ってもらうこと。それしかできないのです」からの小さなもう一歩がこの本に託されていれば、と思うのは私だけだろうか。 (岩波書店)(飛鳥新書)