「やっと出たか…」と、思わずため息がでてしまう。それほど役に立つし、楽しい内容の本である。読んで楽しくて、しかも勉強になるという本は、クラシック音楽のジャンルでは圧倒的に少数派だ。書店の本棚を眺めると、役には立つものの、読んでいてそれほど興奮できない本、あるいは「へええ〜」と感心はするものの、いわゆる雑学の羅列でしかない本が氾濫しているように思えてならない。
私が長らく暮らしていたウィーンは「音楽の都」として有名だ。日常会話にはドイツ語が使われるウィーンでも、イタリアだけは別格である。ちょっと古い話になるが、映画「アマデウス」の主人公モーツァルトとともに大いに気を吐いていたのが宮廷楽長のサリエリだったことは、覚えておられるだろうか。サリエリはイタリア人だ。終生ドイツ語はあまり上手にしゃべれなかったらしい。その当時のウィーンの宮廷の公用語はイタリア語だった、と言えたほどらしいから、楽長サリエリは自分の母国語ですべて事足らしてしまったのだろう。
こと音楽となると、イタリア語と無縁でいるのは不可能だ。音の大きさをあらわす「フォルテ」「ピアノ」から始まって、ほとんどの指示や記号はイタリア語で表現される。日本人にとっては外国生まれのカタカナ楽語である。だからこそ「楽語辞典」などという便利なものがあり、それですべてが解決される──と思うのが、今まで見過ごされ勝ちだった、とても大きな間違いなのだ。
これらの楽語は、そのほとんどがイタリアの日常生活に密着している単語である。どんな状況で使われる言葉なのかを知り、その肌触りを感じなければ、演奏の際に求められる繊細な表現につなげることができない。本書では「アンダンテとは、歩く速さのことではない」「1位の走者が2位を大きくスタッカートしています!」「髪をゴムでレガートする」「食べ過ぎてズボンがストレットになったから、ベルトをレントにする」などなど、おもしろい話題が次から次へと提供される。
音楽家なら必ず一回は読んでみるべき本だ。ついでに教科書的ではない生きた日常イタリア語の用法もちょこっと覚えられる。音楽家にとって「買って損のない本」とは、まさにこのような本のことを言うのだろう。(全音楽譜出版社)