『「密息」で身体が変わる』中村明一

060714タイトルからは健康法に関する本が想像されるが、そうではなく、音楽をベースにした文化論が鮮やかに展開される。こうした間口の広さが、本書まず第一の特徴と言えよう。
 
著者の中村と私とは、中学・高校を通じて“同じ釜の飯を食った”仲である。中村は頭脳明晰な上にサッカーも得意な、誰にも好かれる少年だった。音楽も嫌いではなかったようで、友人と結成したアマチュアバンドでギターを弾いていたが、趣味の域を越えるものではなかったはずだ。
 
化学研究者として理系の人生を歩み、順調に就職も果たした中村の所在が、ある時点から不明になってしまった。その時すでに人生をリスタートさせ、尺八奏者として国境を越えた地位を築きつつあった中村は、心機一転バークリーでジャズの研鑽を積む決心をしたのだという。こうして磨きをかけられた中村明一は、堂々たる人生再々デビューを果たしたのだ。堅実な定職・定収入を捨ててまで、何の保障もない(どころかのたれ死ぬ確率の方がはるかに大きい)尺八奏者の道を選ぶなど、なかなかできることではない。
 
波瀾万丈な人生の中で中村が常に追求したのが「呼吸法」だ。西洋の管楽器で“肺活量勝負”と言われるほど発音に息が必要とされるのはフルートだが、日本古来の尺八はこれより段違いに効率が悪い楽器である。洋物管楽器の奏法に「循環呼吸」という高級テクニックがある。この「口から息を吐きながら鼻から息を吸う」という特殊な技術を身につけると、ブレスなしでエンドレスに音を紡ぎ出せるようになるのだ。中村はこれを尺八に応用する、という、誰もが不可能と思っていたことを世界で初めて可能にしたパイオニアだ。その裏には、それまで闇に包まれていた日本古来の呼吸法を解明するという、地道な努力と功績が秘められているのである。
 
この呼吸法でポイントとなるのは骨盤の角度である。少し腰が落ち、膝がまがった、一般的には「カッコ悪い」と評価されがちな姿勢だが、これが日本がまだ純粋に日本として存在していた時代の生活と文化の基盤だったとは驚きだ。そう言われてみれば、浮世絵に描かれている人物は皆このような格好をしているではないか! 日本舞踊の基本形は、バレリーナのポーズとまったく違う。使う筋肉も、動作も、同じではない。剣道とフェンシングも、運動理念は本来異質のものである。伝統的な日本らしさとはこんなところに宿っていたのか、と気づかせてくれる貴重な一冊としてご紹介したい。(新潮社)