『バッハ 演奏法と解釈-ピアニストのためのバッハ』パウル・バドゥーラ=スコダ

080317「もっと自由なバッハへ──21世紀のバッハ解釈」

今回はあつかましく自らが関わった書籍を紹介することをお許し頂きたい。
 
バッハの演奏法に関するドイツ語の大著を数年かけて邦訳した。いつ終わるともわからぬ翻訳と編集は長いトンネルの如しで、なかなか先が見えなかった。多くの部分は後輩の研究者たちに下訳してもらったのだが、内容を再確認し、監修者として日本語の体裁を統一しなければならない。歩みは牛歩のようでも1行、1段落、1ページずつ先へ進まないことには終わりも来ない。忍耐──課題はこれだった。
 
本書のような“学術書”は得てして難解になりやすい。その上、バッハの演奏法は一筋縄ではいかない題材だ。しかし原著者であり、80歳とはいえまだ現役の恩師バドゥーラ=スコダの暖かい口調を思いだしながら、できるだけ親しみやすい語り口を心がけたつもりである。
 
20世紀になって、バッハの解釈には大きな変革がもたらされた。現代もっともポピュラーな楽器のひとつであるピアノがバッハ時代に存在しなかったことから、「ピアノで演奏されるバッハにはオーセンティックな音楽芸術としての価値がない」と疎外されたのだ。バッハは鍵盤楽器の作品を多数創作したが、「これらはオリジナル楽器であるチェンバロかパイプオルガンで弾かれてこそ、バッハの精神がよみがえる」と主張され、多くの評論家が追随した。今になって冷静に考えれば、こうした極論の論者たちが所有していた楽器(チェンバロ)は、バロック時代のものとは大差があるロマン派時代のモデルばかりで、ピアノをあざける論議はまさに「目くそ鼻くそを笑う」を地でいくものでしかなかったのだ。
 
こうした狭量な解釈から脱却し、バッハ自身が現代楽器ピアノに出会ったらどんな評価を下したかを想像しながら、その作品をより自然に、活力に満ちたものとして再現し、本来の魅力を追求するのが本書の目的だ。規則でがんじがらめに縛られ、無味乾燥な音楽になりかけていたバッハの鍵盤作品を、素直な感激と共に演奏する方法を自分で考えられるようになるための手引きである。今までは正しい、と思われていた規則や常識のうち複数のものが、実はまったく根拠のないものだったという驚きは、この本を読んでみないと得られない。
 
バッハの音楽は、もっと自由なのだ。バッハ自身もそれを心から望んでいた。ピアニストにチェンバロやパイプオルガンのまねをさせるのではなく、バッハの音楽を自然な音楽として愛し、わくわくとした感動をもって演奏する喜びを本書がもたらしてくれることを願ってやまない。(全音楽譜出版社)
 

目次紹介

 

【第1部】演奏に関する諸問題

 

《第1章》18世紀の演奏を伝承するC.F.コルトの手まわしオルガン《第2章》リズムの研究《第3章》バッハの正しいテンポを求めて《第4章》バッハのアーティキュレーション《第5章》強弱法《第6章》響きの問題《第7章》チェンバロとピアノのテクニックおよび表情豊かな演奏について《第8章》原典版楽譜の諸問題《第9章》作品の構造と演奏のまとめ方《第10章》平均律クラヴィーア曲集第1巻のプレリュードとフーガ第8番
 

【第2部】装飾音の研究

 

《第11章》はじめに《第12章》17〜18世紀における装飾法の発展《第13章》J.S.バッハの装飾概説《第14章》プラルトリラー《第15章》アポッジャトゥーラ《第16章》長いトリル《第17章》モルデント《第18章》アルペッジョ《第19章》記譜されていない装飾音の適用《第20章》バッハの鍵盤作品における自由な装飾