『水が笑う』津久井ひろみ

080824「詩集」というジャンルの書物に、正面から向き合ってみた。一般的な詩とのつきあいは初めてではない。職業柄、歌曲を伴奏する際には、事前のテキスト研究が不可欠だ。しかし“書評”という角度からあらためて詩集を手にしてみると、不思議な感覚にとらわれる。音楽の一部として個別の詩を扱う時とは違うのだ。まとまっているようでありながら、実はとらえどころがない、とでも表現すればいいのだろうか…。
 
詩集とは、何とぜいたくな書籍だろう。文字だけでなく、余白もさまざまなことを語ってくれる。実感するのは「母国語が日本語とは、何という幸せか」ということだ。七夕、たなばた、タナバタ──書き方によってすべてニュアンスが違う。縦書き・横書きでも雰囲気が変わるし、毛筆と鉛筆でもまた違う。母、母上、おかあさん、おふくろ、おっかあ、かあちゃん、ママ…──実体はひとつでも、そこにさまざまな思い入れがあることを直接的・間接的に表現できる。
 
詩人、津久井ひろみは第一線で活躍する美術家のご主人、津久井利彰とともに1963年以来パリに暮らしている。生粋の大和撫子だが、フランスに住むようになってから45年。心落ち着くふるさとは、もはやパリだという。日本語と同じようにフランス語をあやつり、フランス語で考え、感じ、そして日本語で詩をつむぐ。
 
文字数も少なくて容易に読み下せそうに見えるくせに、詩はずいぶんと読者をてこずらせる、やんちゃな存在だ。詩を味わうことは、演奏家として楽譜から耳に聞こえる音楽を構築していく作業と酷似している。通読しただけでは書かれている以上のことはわからない。おもしろくなるのはそこからだ。ひとつひとつの単語を、言い回しを、そして句読点が示唆する作者の息づかいを吟味し、作者の心に去就していただろうさまざまなイメージに思いを馳せる。どんな気持ちでこの言葉を選んだのか、そして作家の脳裏にはどんな景色が広がっていたのだろう、と想像の翼を広げていく。
 
津久井が感じ、紙上に繰り広げるメッセージは、日常とは違う緊張感を読者に求めて止まない。日本語を母国語とする津久井が異国フランスで生活しながら長い年月をかけて熟成させていった感覚を、彼女と共有するのは容易ではない。彼女の詩は平和な風景を素朴にうたったものではなく、かなり難解だ。しかし、そこに息づいているものが何なのか知りたい、と読者を呪縛する不思議な魅力と魔力を持った詩集である。 (書肆山田)