「食」は文化の大きな柱のひとつとして古今東西、常に歴史とともにあった。中でもフランスのそれは単なる“食事”と片づけけられぬ、至福の調和に満たされた食文化の頂点を担うものとして、現在もファンが多い。
本格的なフレンチディナーは決して安価ではないが、おしゃれである。そして背筋を伸ばして味わいたくなる格調が感じられる。それもそのはず、料理そのものの味が問われるだけでなく、いっしょに楽しむワイン、店の雰囲気や調度品、ウェイターの態度などすべてを含めた総合パフォーマンスとして演出されるからだ。ジーパンにTシャツは似合わない。手軽な食事を好むならフレンチは避けるべきだろう。
もちろんフランスには庶民が愛する気軽なレストラン(ビストロ)もたくさんあるし、豆をぐつぐつ煮込んだような家庭料理や質実剛健な田舎料理も健在だ。バゲットにチーズとテーブルワインだけでも立派な食事となる。しかしそうした大衆的なものと一線を画し、食事を芸術として演出することに人生をかけてきたプロがいる。その一方にはこうしたグランシェフたちの芸術を理解し、楽しみ、支持してくれる裕福な階層が存する。財布が厚いだけのにわか成金とは違う、文化人としても一流の人々だ。ヨーロッパにおけるこうした階級の充実は、日本とは比べものにならない。
本書にはこうした料理を創作する達人に体当たりし、薫陶を受け、それを自己の理想として熟成させていった日本人シェフ12名と、日本にゆかりの深いフランス人シェフ2名の意気込みと軌跡が綴られている。著者宇田川と個人的な親交もあるシェフたちに著者自身が行ったインタビューや、普段の何気ない会話の中からのエクストラクトからまとめられた内容には「舞台裏にはこんな葛藤や真剣勝負があったのか」と感動させられる。また文中に織り込まれた宇田川の評価に接することによって「人生をかけて作るフランス料理」の価値ばかりか、過去から現在に至るまで厳然たる階級社会として維持されてきたフランスの雰囲気までもが、少しわかったような気になれるのがうれしい。
東京オリンピック以降から70年代にかけての日本の“西洋料理”に飽きたらず、フランス料理に興味を持って単身渡欧した日本人シェフたちの修業時代は、決して平坦ではなかった。しかし著者宇田川の視点には、自身の長いフランス滞在の経験にもとづいた愛情深い共感が感じられる。考えてみれば同時代に日本から「本場の音楽とは何か」を探求するためにヨーロッパに旅立ち、自分の芸術として消化しようと努力した音楽家たちにも、共通の心情がうかがえる。「うん、これは一回きちんと食事してみなければならないな。果敢なシェフの挑戦を受けて立ってみよう」という気にさせてくれる一冊だ。 (幻冬舎文庫)