ピアノの演奏テクニック関連の本は数多い。書き下ろしの解説書や海外の書籍の訳本、そして本書のように音楽月刊誌における連載がまとめられた体裁のものも少なくない。いずれにせよこうした本の読者たちは向上心旺盛で「何かを得よう」という前向きな気持ちに満ちているに違いない。
しかし現実は厳しい。正直、もどかしいのだ。それもそのはず、読者が知りたいのは音のイメージに関すること、そのイメージを具現するために必要な体の使い方や感覚などなど、本来文字では説明困難なことばかりである。
誰にでもわかる例を挙げてみよう。まだ自転車に乗れない人に「どうやったら自転車にまたがってバランスをとり、カーブを曲がれるのか」を、スケート靴を履いたことのない人に「後ろ向きに滑るコツ」を、あるいは出産の痛みを男に言葉で説明することなどは、どれも簡単ではない。絵や写真を併用しても大きな助けにはならない。できる人、経験のある人にとっては「あ、あれね」と瞬時に共感できる普遍的な感覚なのに、それがわかってもらえないのは隔靴掻痒、ふがいなく、せつない。
「ピアノの弾き方を言葉で説明する」とは、そのように極めて困難な課題なのだ。できない人にはいくら言葉をつくしてもなかなか伝わらないが、すでにできる人にとってはまどろっこしい説明でしかない。しかしドゥヴァイヨン(筆者の長年の友人でもあり、以下はパスカルと呼ばせていただく)による解説はひとつずつ順を追って丁寧に整理されており、明瞭かつ明解だ。「ここまでしないとわからない人って、果たしてピアノに向いているのだろうか…」と心配になってしまうほどである。
ところで本書には独特の味わいがある。読んでいるとパスカルの人柄やしゃべり方が、ひしひしと伝わってくるのだ。あたかもマンツーマンで教えてもらっているように感じられる。事態が深刻になり過ぎないようにジョークっぽい比喩を多用するのはパスカルの癖である。食事中に音楽とはまったく無関係な話をしている時も、同じようなしゃべり方をする。一歩間違うと「はぐらかし」にもなってしまいそうな語り口が、逆に生き生きとした説得力となって伝わるのは、翻訳を担当したピアニスト村田の功績に負うところが大きい。
本書にしたためられている内容に関しては、同業者として躊躇なく太鼓判を押せる。究極の真実に迫るためのアプローチは正にパスカル流で、これこそが本書最大の価値である。上述「自転車の乗り方」に関しても、さまざまなアプローチと解説の仕方があろう。目的とするところ──人並みに自転車に乗れること──はひとつでも、そこに至る道は1本ではない。それぞれの人が「腑に落ちる」説明を得たときに、目からウロコが落ちるのだ。この楽しい本が、一人でも多くの人の目からウロコが落ちるきっかけとなるよう祈っている。それにはまず「読んでみる」ことが欠かせない。「ピアノの弾き方ぐらいはわかっている」と信じておられる諸先生方にとっても「こんな説明の方法があったのか」という発見につながれば幸いである。(音楽之友社)