手前味噌ながら紹介させていただきたい本がある──というのは、本書には私自身が担当した部分(“武蔵の時代──親子関係のひずみ”)も含まれているからだ。いや、それだけではない。書評空間の評者のひとりである西堂行人(舞台芸術)も貴重な論述(“アングラと肉体の日々──1967年から1973年に何が起こったか”他)を掲載している。叱責を恐れず暴露すれば、実は本書は西堂が発した音頭がきっかけになって生まれたものなのだ。
出版のいきさつはともかく、内容を紹介しよう。編者である「武蔵73(ナナサン)会」とは、東京は江古田にある私立武蔵中学高等学校を1973年に卒業した仲間の有志7名によって作られたグループだ。数年後に還暦を迎える年代となったが、それぞれ異なったジャンルで活躍している面々である。各人まだまだ現役として意気軒昂に気を吐いている最中だ。本文は基本的には編者および同期生たちからの投稿によって構成されており、「文化・芸術の周辺」「研究と私」「学園の風景」その他の目次が並んでいる。
未来に向けた成長の兆しが見えず、閉塞的な気運が蔓延している今日この頃だが、私たちは「団塊」世代の親たちの牽引力によって導かれた高度成長期と呼ばれる時代に生まれ育った。その直後に続く武蔵73会の世代の人生も、ふり返ってみれば充分にスリリングな40年だったが、その私たちが社会人として日本の経済活動や文化活動を支えるために必要な力量が蓄えられたのは、中学から高校時代だったように思えてならないのだ。人格形成において大変に重要だった中高時代を今一度ふり返るとともに、当時の社会背景を再評価してみよう、というのが本書の目的のひとつである。
当時の社会世相を考察するためのキーワードのひとつは「大学紛争」だろう。事は紛糾し、日本の大学の最高峰、東京大学の入試が中止に追い込まれるという前代未聞の事態に至った。大学紛争の核となった「安保問題」も忘れてはならない争点だった。40年前の大学生は社会運動の最前線にいたのだ。武蔵73会の世代はまだ年齢的に及ばなかったものの、そうしたうねりに刺激され、高校生なりに安保の是非に関して議論し、仲間の一部には大学生たちに混じってデモに参加する者もいた。武蔵73会が書き留めておきたかったのは、一般的な学校とは一線を画し、それが政治に関する活動でも何の制約も加えずに容認してきた母校武蔵高校のスタンスと、そうした自由な環境の中で私たちがいかにして自立心を獲得していったか、という成長の記録なのである。
今、改めて振りかえって見ると、武蔵という学校のキャンパスは一風変わっていた。教員も個性派というか、文科省的な物差しではあり得ないような教師が数多くいた。もちろんまともな先生の方が多数派だったに違いないが、そうした「常識人」の授業は私たちの人間形成には何の影響も及ぼさなかった。そうではない先生の言動こそが、若者たちのその後の人生に得難いインパクトを与えたのだ。先生それぞれが個性と人生観を主張し、教員の間でもそれをお互い尊重している風潮から、幼いながらも特別な何かを感じ取ったのだろう。生きていくために大切なのは「知識」ではなかった。「究極の教育とは何か」を考えさせられる。
そのころ武蔵と比較されていたのは麻布と開成という名門私立校だった。東大進学率を競い合い、それゆえ中学受験の競争もあおり立てられていった。その後武蔵は東大進学率偏重に距離を置く方針を選択し、マスコミ報道の矢面に立つことはなくなったが、創学当時からの伝統である「自由」はいまだ変わらず、卒業生にとって誇るべき母校として健在である。
武蔵に関わりを持つ読者にとっておもしろい本である事は言うまでもないが、そうではない読者諸氏にとっても「昭和の時代」を観察し、評価する切り口のひとつとして得難い視点となるのではないか、と想像する次第である。 (れんが書房新社)