『ファジル・サイ』ユルゲン・オッテン 畑野小百合訳

130510今年4月17日の朝刊に掲載された記事である。

「イスラムを侮辱」有罪判決
トルコ 無神論者のピアニスト
 
世界的に活躍するトルコのピアニスト兼作曲家ファジル・サイ氏(43)がイスラム教を侮辱したとして、イスタンブールの裁判所は15日、同氏に禁固10ヶ月、執行猶予5年の判決を言い渡した。自らを無神論者と公言するサイ氏は昨年4月、「愚かな人や泥棒がいるところには、常に神を信じる者がいる。矛盾していないか?」など、イスラム教徒をからかうような文章を自身のツイッターに書き込んだ。これを見た保守的な人々がサイ氏を検察当局に告発していた。判決で裁判官は「宗教をおとしめる内容だ」と認めたものの、サイ氏が過去に罪を犯した事実がないことを考慮して執行猶予とした。判決に対し、サイ氏は地元メディアに「私は悪いことをしたとは思っていない。信条や表現の自由が心配だ」と述べた。
(後略、朝日新聞より)
 
トルコは西欧圏とイスラム圏の接点となる国であり、政治的また文化的にも混沌としている。東京、マドリッドと並んで2020年の夏季オリンピック候補地のひとつとなっているが、猪瀬直樹東京都知事の問題発言が話題になったばかりだ。2005年からEU加盟の交渉が開始されているが、いまだ承認には至っていない。
 
イスラムの社会と思考を理解するのは簡単ではない。トルコには西欧化されたイスタンブールやアンカラといった大都市がある一方、それ以外の地域では東洋的とも表現できるイスラム文化の存在が圧倒的だ。西欧風の都市とは言ってもイスラム文化が色濃く混在しているわけだが、西欧の音楽を極めようと欧米の音楽大学に留学するトルコからの学生も数多い。ファジル・サイも、その才能を開花させるための教育をドイツで享受した。その後ニューヨークを拠点に国際的な活動を開始し、現在では作曲もこなし、クラシック音楽のスタンダードレパートリーとジャズとの融合もごく自然にやってのける天才ピアニストとして世界中にファンがいる。日本でも熱狂的に迎えられ、その評価は高い。
 
このように順風満帆に見えるサイのキャリアだが、実際の人生はそうではなさそうだ。生まれ育ったトルコの文化環境や社会的な宗教観とサイの存在意義である西洋音楽とのきしみ、イスラム原理主義への違和感、そして自身のアイデンティティーの問題などがさまざまな形で顕在化しているように見受けられる。祖国を愛し、トルコ人であることを実感しながらも、そこにうまく同化できないジレンマが行間から読み取れる。西洋でも東洋でもない、その狭間でサイは生きているのだ。
 
日本人が異文化に対して感じるハードルは、一般にそれほど高くない。どんなものでもそれほど抵抗なく受け入れ、それを独自の文化へと熟成させることが得意な民族に、サイの苦悩はよくわからないのでは、と思う。本書を、単に天才肌のピアニストを賞賛する半生記としてではなく「文化の違いが人生に落とす影とはどんなものなのだろう」という視点から読み解くのも、ひとつの選択肢だろう。
 
著者のオッテンの視点はサイの支持者としてのものであり、そのあたりの記述が少々鼻につくのではあるが、そこは読み飛ばすしかない。ここで評価すべきは訳者の畑野による自然な日本語と行き届いた訳注だ。現在ベルリンの大学で博士課程に在籍しているまだ20代の若き研究者だが、本書が最初の訳書のようだ。言葉と真摯に向きあう態度には好感が持てる。これからも研究者としてはもちろんのこと、秀逸な訳者としてもさまざまな本を紹介して欲しい。 (アルテスパブリッシング)