『ショパン・エチュード作品10の作り方 & ショパン・エチュード作品25の作り方』パスカル・ドゥヴァイヨン 村田理夏子訳

130814-1 130814-2ショパンが作曲した24曲のエチュードは、ピアノを学ぶ者はもちろん、すべてのクラシック系ピアニストが最高の芸術性、技術および明晰な頭脳をもって挑むべき試金石である。若者にとっての登龍門となる国際コンクールでも、必ずと言って良いほどの頻度で課題曲として指定される作品だ。真の実力が問われ、試され、また優劣もはっきりとわかってしまうので、ごまかしがきかない。
 
“エチュード”という響きはお洒落だが、訳せば「練習曲」。何だか「音楽しよう!」という意欲がげんなり萎えてしまいそうな名称ではある。確かに「新しいテクニックを身につけるための練習に役立つ作品」という性格は色濃く、もちろんその目的のためにも使用される。それぞれの作品を極めるまでの道のりは、アルプスの山に登るのに似て厳しい。しかしこうした技術的ハードルを遥かに凌駕しているのが、それらの崇高な美しさと芸術作品としての完成度だ。山頂から眺めるスイスアルプスの景色にも同じような感激があろう。“ピアノの詩人”として万人にこよなく愛されるショパンが歌い上げる美しさに少しでも肉薄するために日々の鍛錬があり、「もっと美しくありたい」という切なる願望が、より高度な技術を身につけるための忍耐への原動力となる──そんなたぐいまれな作品群なのである。
 
「一度はレッスンを受けてみたい先生」として人気を誇るドゥヴァイヨンがまとめたこれら2冊の本は、もともとピアノのレスナーと生徒達を対象とした音楽月刊誌『ムジカノーヴァ』の2010年4月号から2012年3月号までの連載を集約・再編したものだ。そこに登場した「ドゥヴァイヨン先生の誌上レッスン」だが、音や演奏のイメージを「読む言葉」で説明し、微妙なニュアンスを伝えるのは容易ではない。そこで「料理のレシピのように説明してみよう」という手法が編み出された。今までになかった新鮮でわかりやすい指導書が生まれることになったのである。
 
原文の執筆こそドゥヴァイヨンだが、日本語化を担当したのは、自身も優秀なピアニストである村田理夏子だ。ドゥヴァイヨン夫人である村田は夫が言わんとしていることを的確に把握し、それを最適なメッセージに熟成させている。読者にとっては、村田が語る日本語の親しみやすさとわかりやすさが何よりの宝だ。彼女が担う作業は決して「翻訳」といった下働き的なものではなく、光り輝く語学センスがいたるところにちりばめられている。村田の手腕なくしてこの魅力的な本は成立しなかったろう。はつらつとした日本語が味わえるし、とても楽しい。
 
本書はショパンによって「作品10」として創作された12曲と「作品25」として創作された12曲が、それぞれハンディなサイズの分冊として装丁されたものだ。各作品のスタイルと内容があたかも料理本のように個別のレシピとしてまとめられ、まずは《今日の献立》としてそのエチュードの概要と特徴が提示される。《用意するもの》のコラムでは必要な材料、つまり作品をまとめるために欠かせないポイントが整理されている。《期待される食効果》として紹介されるのは、何のためのエチュードなのか、という「目的」だ。続く《よりよい消化のために》と銘打ったコーナーで楽曲に挑む際の留意点や心構えに言及されたあと、いよいよメインメニューである《作り方》が説明される。「作り方」とは「いかに練習するか」というコアの部分だ。与えられる課題は高度だが、ドゥヴァイヨンによる聡明な構成と村田の巧みな話術に助けられ、思わず「そうか、そういうことだったのか、やってみようかな」という気にさせられてしまうところが、この本のニクイところである。
 
「こういう練習をしなさい」という上から目線のトレーニング指示書ではなく、「なぜそうする必要があるのか、それをやるとどういう効果があるのか」という説明が行き届いているため、先生の厳しい要求にも納得して忍耐強く努力できるのだ。ドゥヴァイヨンの名教師たるゆえんである。ショパンのエチュードに挑戦してみたは良いが、いくら練習しても上達が感じられず、煮詰まってしまっている人は一読してみよう。現状打破につながるヒントが必ず見つかるに違いない。(音楽之友社)