バッハ生誕から300年たった1985年に上梓された『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』が、このたび改訂された。著者の礒山は音楽研究の世界では誰もが一目置く存在だが、とりわけバッハ研究家として八面六臂の大活躍中だ。
原著は礒山にとって、記念すべき第1冊目のの書籍だった。それだけに意欲満々、書きたい、というエネルギーが行間からあふれ出るような筆致となっている。第1冊目にして第一回辻荘一賞が授与されたのもさもありなん、という名著だ。ダイナミックなバッハの姿が年代を追って生き生きと語られているばかりか、バッハを深く知るために欠かせない「フィグーラ」という概念の基礎知識や、バッハが持っていた数字に対するこだわりにも言及されており、クラシック音楽に携わるものにとって必読の書だろう。だからといって難解な解説書になってしまうのではなく、一般のクラシック音楽ファンへの入門書としても読みやすい。私自身も2008年3月のブログで紹介したバッハの本を翻訳する際に、ずいぶん助けられた。
その後の四半世紀でバッハ研究も進展した。世界中の優秀な学者たちが四半世紀研究を積み重ねた成果は、量、質ともにかなりなものとなる。新しい発見もたくさんあった。原著の骨格と文体はそのまま残しながら、そうした最先端の研究内容を盛り込み、すべての記述があらためて丹念にチェックされ、コンパクトな文庫本として生まれ変わったのが本書である。原著の冒頭に掲載されていた多くの図版が割愛されてしまったのは残念だが、これも「文庫本」というサイズからは致し方のないことだろう。そのかわり値段も手頃になり、入手しやすく、またどこにでも携帯しやすくなったのが嬉しい。
この本の校訂に関する状況は、礒山自身のブログ http://prof-i.asablo.jp/blog/ からうかがい知ることができる。
今年の2月13日:『魂のエヴァンゲリスト』の文庫版の、仕上げにかかっているのです。多少の修正で再使用する章もありますが、大幅に書き直した章もあり、目下最終章「数学的秩序の探究」を、根本的に改訂しています。あまり直すと、若い頃ならではの力が失われてしまうとも思うのですが、バッハ研究でその後わかったこと、私の勉強したことがあまりにも多く、割り切って書き直しています。読んでいただく日が楽しみです。 同、2月16日:『魂のエヴァンゲリスト』の改訂に精を出し、補章の「20世紀におけるバッハ演奏の4段階」に取り組みました。といっても、20 世紀に関しては以前に書いたことがだいたい通るので、「21世紀に入って」という項目を付け加えるのが中心でした。一応一通りチェックを終えましたが、結果として、85年の本と、大幅に異なったものとなりました。
その後2月28日、3月1日、3月18日にも本書に関する書き込みがあり、そして4月8日:こういう本になりました。写真やオビに関する情報を得ていませんでしたので、表紙がトーマス教会であることを初めて知りました。オビの言葉は、選び抜かれていますね。ありがとうございます。…まだよく読んでいませんが、鈴木秀美さんの名前が索引から落ちています。ごめんなさい。無伴奏のCDとのかかわりで、お名前を出しています。…「あとがき」の一節を、ご紹介代わりに引用します。「古い革袋はなるべく残し、酒はできるだけ新しいものにする、という作業が、原著の生命力を損わなかったかどうか。その判断は、読者にお委ねするほかはない。改訂は、章によっては、ほとんど書き直しに近いものとなった。その意味で文庫版は、私の現在のバッハ観をはっきり示すものとなったと言えるのだが、それが初版時のバッハ観と重なり合う面が想像以上に多いことも、また事実である…」
お薦めの一冊である。(講談社学術文庫1991)