WEDGEという月刊誌をご存じだろうか。東京近辺を中心に販売されている月刊の経済誌だ。JRの子会社が出版している。JR東海系の駅の売店には必ず置いてあるし、最近は私鉄の売店でも見かけるようになった。しかしJR東日本の駅のキオスクでは売られていない、など、その販売経路はなかなか複雑らしい。JR東海の新幹線グリーン席には車内誌として常備されているし、普通席でも車内販売で入手できる。私のように経済にうとい人間が読んでも結構楽しめる、活力に満ちた雑誌である。
今回紹介したいのはこの月刊誌のことではなく、ここに連載されていたエッセイ「日本人の忘れもの」がまとめられた単行本である。表記の一冊にとどまらず、同じ名前を冠した3冊の連作(『日本人の忘れもの 2』、『日本人の忘れもの 3』)となっているのが嬉しい。筆者の中西進は万葉集を専門とする日本文学研究の大家である。さまざまな言葉の由来から、その裏に秘められた日本文化の美しさや奥深さをわかりやすく語ってくれる。目次には《心の章》として「まける」「おやこ」「はなやぐ」…、《躰(からだ)の章》として「ごっこ」「まなぶ」「きそう」…、《暮らしの章》として「たべる」「こよみ」「おそれ」…などが並び、どこから読んでも楽しめる。リラックスしたひとときを知的に満たしてくれる一冊だ。これからの季節、花見の友としてもおしゃれだろう。
このところ、日本文化の良さが急速に薄まっていくような気がしてならない。「グローバル」を錦の御旗にして情報の共有化が進み、個別の「あじわい」が画一化され、「ぬくもり」がデジタル化されていく。日本に限らず、ヨーロッパでもそれを感じる。もともとあの狭い地域の中でフランス、ドイツ、イタリアをはじめとする“異文化”が独自に発展していった歴史は奇跡に近いが、昨今のヨーロッパ統合が定着すればするほど、そうした文化の境が不明瞭になっていくように思えてならない。「文化の担い手」が、必ずしもその文化圏で育った人材である必要がなくなりつつあるのだ。
話は変わるが、JALの情報月刊誌Agoraにグレゴリー・クラークが連載していた「異文化交流録」もそのうち単行本にならないものか、と密かに期待しているところである。(ウェッジ)