1956年に初訳が上梓されて以来、世代を越えて読み継がれてきた本である。第二次世界大戦中にナチスドイツの強制収容所に収容されながら、奇跡的な生還を果たした精神科医が書いたものだ。極限状態において人間の精神がどのように反応するかが、専門家の視点から書かれている。「極限状態」は望んで体験できるものではなく、フランクルの報告には臨場感が伴っている。しかしこの臨場感も、一種独特で醒めたところがある。彼が感じた痛みが肉体的にも精神的にも壮絶なものだったことは想像に難くないが、どこか浮遊しているようなのだ。人間、殴られるのが日常茶飯事になると、痛感が麻痺するのだろうか。
本書は従来、原著者フランクルと親交のあった霜山徳爾の訳で知られていたが、5年前に池田香代子によって新訳が刊行された。池田によると、霜山版の底本が1947年に発行された旧版だったのに対し、池田のものは1977年の新版であり、細部における内容の改訂があるとのことである。こうした異同の反映もさることながら、まずは読みやすくなったことが何よりもありがたい。言葉遣いが平易になり(しかし霜山の訳文も格調高く、捨てがたい風格がある)、活字が読みやすくなった。「今この本を若い人に読んでもらいたい」というみすず書房編集者の願い(新版166頁)をかなえるためにも、この新版は「出版されるべくして出版された」と言えるだろう。
しかし霜山版に掲載されていた、冒頭66ページに及ぶ収容所の解説と巻末の写真図版が新版で割愛されてしまったことが惜しまれる。戦争の悲惨さを直視する苦痛を避けるべきではない。これなしで、「若い人たち」はどこまでフランクルの感情を追体験できるのだろうか。戦争、そして捕虜としての拘束にともなう煉獄は、現在も世界各所で進行中の現実だ。拷問、サディスティックで理不尽な仕打ち、そして恒常的な生命の危機に意識的・無意識的に反応する人間の心と身体の潜在能力には、言葉では表現できない奥深さがあるようだ。
昨今の「いじめ」も、スケールこそ違うがこうした状況と相通じるものなのだろうか。精神的な苦痛に対する感覚が鈍化することによって、このような状況が生じ、エスカレートするのだろうか。「美しい国ニッポン」「愛国心」など、スローガンだけはかまびすしいが、これらの響きをうつろに感じるのは、私だけではないようだ。いろいろなことを考えるきっかけを与えてくれる本である。(みすず書房)