『決定版 ショパンの生涯』バルバラ・スモレンスカ=ジェリンスカ著、関口時正訳

080420小学生でもその名を知っているショパン。プロからアマチュアまですべての音楽ファンのアイドルだ。
 
これほどショパンの音楽が日本人に愛される背景には、いくつかの理由が考えられる。まず、あまり幸せではなかったように見えるその人生だ。ショパンの故郷はポーランドだが、20歳の時に親元を離れて西欧への旅路に赴いた直後、ワルシャワで武装蜂起が起きた。その後政治的な理由からショパンは二度と故郷の土を踏むことはなく、心中はいつも祖国への郷愁で満たされていた。愛人と離別して数年、孤独のうちに40歳にならず病死したことも同情を誘う。そんな「影」を背負ったショパンの姿が日本人の琴線に触れるのだ。どんなに楽しい時間を過ごしていても、心の片隅には悲しみが宿っている──「もののあわれ」の心情である。
 
いきおい、ショパンに関する書籍も多い。楽器店の書籍コーナーには必ずショパンの伝記や評論などが並んでいる。しかしこれら日本語の書籍には共通した問題がある。
 
ショパンはポーランド人だ。父はフランス人だったし、ショパン自身20年近くフランスに住んでいたからフランス語には何の不自由もなかったが、家族への手紙などはもちろんポーランド語で書かれている。ショパンがまだ故郷で暮らしていた頃の情報も、そのほとんどがポーランド語だ。
 
ポーランド語がわからないのは不便である。海外で出版された英語その他の文献を訳す場合でも、そこに引用されているポーランド語の原資料が正しく訳されているかがチェックできない。訳文の再訳は、しばしば重大な誤訳の原因となる。
 
そんなショパン評伝だらけだった中、本書は「ポーランド語の本が直接日本語に訳された」という、今までなかった画期的なものなのだ。訳者の関口は東大大学院で仏文学と比較文化を専攻した後、現在はポーランド文化とポーランド語の研究家として第一線で活躍している。ポーランド語とフランス語でなりたっているショパンの身辺を語るに当たって、これ以上の適役は考えられない。
 
本書はその期待を裏切らず、文章がじつに生き生きとしている。ショパンのユーモアや、そのおどけた文体までもが、今まで考えられなかった新鮮さで綴られている。原著者ジェリンスカ夫人の研究内容も興味深く、「ポーランド人ショパン」というスタンスに立ってまとめられた、お薦めの一冊だ。内容が濃いのにいとも気軽に読める、何とも嬉しい本である。 (音楽之友社)