『心の野球』桑田真澄

100625超効率的努力のススメ」

桑田が高校から読売ジャイアンツにすんなり入団し、清原が不本意にも西武ライオンズに入団せざるを得なかった1986年当時、私はウィーンで暮らしていた。ウィーンで、地球の裏側にある日本でのプロ野球事情が報道されることなど、まずあり得ない。アメリカのメジャーリーグの記事すら、ほとんど見かけない。だいたい野球そのものがまったく定着していないのだ。そのような状況だったから、こと野球に関してもともと詳しくない私は、旅行者からのおみやげとしてゲットする日本の週刊誌などで「桑田真澄」「清原和博」という名前こそ目にしても、状況の背景と真相に関しては“おそらくフェアではない”報道を鵜呑みにするしかなかった。「密約疑惑の桑田」と「裏切られた清原」というレッテルつきの記事のみがすべてだったのだ。
 
桑田も清原もその後それぞれ波瀾万丈な道を歩み、誰もが認める大きな実績を残し、アスリートとしての限界に挑み、そして引退した。清原が引退直後にまとめた著書『男道』は昨年2月のブログで取り上げた通りだが、清原が桑田を強く意識していたことは明白だ。その一方、桑田の人となりに関する私の情報はあいかわらず新聞やテレビのニュースなどといった一般報道に甘んじるしかなく、桑田の人間としての輪郭を今ひとつとらえることができないまま過ごしていた。
 
そんな時に出版された本である。新聞広告を目にした瞬間、「これは買って読まないわけにはいかない」と思った。清原の本を読んで以来、心のどこかで「清原の気持ちは著書『男道』を通じて察することができたものの、桑田自身は清原の存在をどう感じ、考えていたのだろうか」という疑問がくすぶっていたからだ。桑田はもちろん『心の野球』の中でそのことに触れている。量的には思ったより少なかったが、本書238ページより3ページにわたって述べられている清原との特別な絆に関する部分がそれだ。運命のドラフト以来23年間のわだかまりを越えて、今再び高校生当時のように素直につきあえるようになれたことは喜ばしい。「お互い胸中にわだかまりを持ち続けながらもそれを直接相手に確かめることができない」という状況は、本人以外には想像することしかできないが、生半可な試練ではなかっただろう。
 
桑田の本が発するオーラは、実は清原とのことや、その後に起きたさまざまな桑田バッシングなどの真相解明から発せられているのではない。桑田のライフスタイルが圧倒的なエネルギーで語られているのだ。桑田とは何とまじめで、誠実な男なのだろう。生涯変わらずこのように自分を律し続けることは、なかなかできることではない。「どのような結果になろうとも、それを選択した自分を信じて決して後悔しない」「すべては試練であって、自分が成長するためにある」という人生をどのように生きてきたか、何を支えにさまざまなプレッシャーと向き合ってきたか、何を基準に決断を下してきたかが、全編にわたって書き綴られている。
 
桑田は野球のプロとして、野球する能力はぬきんでているに違いない。しかし、それを維持・向上させるための努力も人並み以上ならば、それを自分のペースで貫徹していく「心の力」にはただただ敬服するしかない。子供の頃、そしてPL高校時代のエピソード、またプロになってからのさまざまな試練…。自分に忠実に生きることができる──それが桑田の持つ最大の武器「人間力」なのだと思う。スタイルはまったく違うが、清原とも共通しているところがある。だから桑田と清原は親友になれるのだろう。ふたりの友情を祝福したい。(幻冬舎)