『チェンバロ』久保田彰

120721まずは単純明快に感想から述べよう。コンパクトながらも手にした時に充実した質感を感じられる、とても美しい本である。内容もこの本ならではの貴重なもので、クラシック音楽ファン、とりわけバロック音楽愛好家にとっては愛蔵して決して後悔しない、必須アイテムに匹敵する価値があるだろう。
 
本書はDVDブックという体裁の出版物だ。DVDと本のどちらが主体かと問えば、軍配はDVDに挙がりそうだ。しかしDVDとして製品化してしまうと、流通経路も、また製品が置かれる店も棚も書籍とはまったく異なることになる。本来のターゲットとして想定される読者層の手に届きにくくなる恐れが生じてしまうのだ。そこで生まれたアイデアが「DVDブック」という手法だった。見た目は普通の本なので、確実に書店の棚に並べてもらえるし、楽器店の書棚でも他の一般音楽書と同じ扱いになる。
 
手に取ればすぐわかるが、「DVDの付録がついた本」あるいは「解説書つきのDVD」といった安易なものではなく、カバーの写真、表紙の模様や見返しの色調など隅々にまで細心の配慮が行き届いた仕上がりになっている。本文のページに印刷されている豊富な写真も、美術誌と変わらぬレベルのフルカラー写真だ。「装丁にここまでこだわるか」という、まさに「チェンバロ製作者の久保田だからこそ」の意匠なのだ。
 
チェンバロの製作とは、木から精巧きわまりない部品を削りだし、それを組み合わせていく純粋な手作業の連続である。とても繊細な楽器で、ちょっとした湿度や室温の変化にも敏感に反応する。その瀟洒な音は、聴く人をして何世紀も前のヨーロッパを彷彿とさせ、フランス革命前の華やかなルイ王朝、そして同時代に至るヨーロッパはかくありなん、という気分を満喫させてくれよう。そんな精緻な楽器を作る職人としてのプライドとこだわりがあったからこそ生まれ得た本と受け止めた。
 
惜しむらくは表紙カバー背面に無粋で真四角な白抜きスペースとして配置されているISBNその他のバーコード表示である。流通管理上欠かせないアイテムなのだろうが、久保田の職人気質に応えるためにも何か別の方法はなかったのだろうか。同じ白でも、その色調やサイズにもう少し配慮できなかったものか…。
 
鍵盤楽器の歴史を解説したDVDは少なくない。海外で制作されたものが多いが、チェンバロは「ピアノが生まれるまで愛用されていた古楽器」というスタンスで扱われてしまい勝ちだ。そうではなく、チェンバロの前身だったプサルテリウムを出発点とし、一世の風靡を誇ったチェンバロ自体の歴史を詳しく解説し、そこから派生したフォルテピアノ(現代のグランドピアノの前身)の紹介で結末となる筋書きは、その着目点からも特筆に値するだろう。
 
チェンバロの醍醐味は、そのたぐいまれな音色にあるばかりでなく、目で見た美術工芸品としての価値もあなどれない。しかし最大の魅力は楽器としての音響だ。画像は印刷できても音は印刷できない。楽譜から音は想像できても、それはまだ音楽ではない。DVDの存在価値はここにある。映像の演出にも美しさを意識した工夫が凝らされている上に、普段は見ることのできないチェンバロの内部構造やアクションの動きなどが、わかりやすく解き明かされていく。演奏の専門家、音楽ファンはもとより、すべての人に喜んでもらえる本に違いない。
 
なお、購入時には透明フィルムで保護されているDVDだが、開封後の収納に少々不満が残る。表紙の裏に格納したつもりのDVDが、気がつかないうちにこぼれ出てしまうことがあるのだ。せっかくのディスクを紛失してしまわないよう、気をつけたい。(ショパン)